好奇心の種が芽吹く瞬間、それが回復の合図。

怒涛の一週間(先週)が終わり、新たな一週間のはじまりである。

先週は他人の失礼な態度に激怒し、自分の怒りから自身の内面を深く掘り下げる作業をし、ひどく消耗した。

1月はどうやら、礼儀をわきまえない人に対し、その場だけを取りつくろう自らの言行不一致を、修正するための月であるようだ。

私の状況を整理し、親身になって助言をくれる友人や恋人の存在に感謝する。

 

私は自分のエネルギーが少なってくると、次に何を読みたいかが浮かばなくなる。

映画や創作も同じで、「あれを観よう」「これを書こう」がなくなり、枯渇したエネルギーを埋めようと、ネットの猥雑な記事を流し読みし、時間を浪費していくのだ。

 

しかし、ある日、「〇〇が読みたい(観たい)な」という想いが浮かび、その思いつきの種が芽吹いて蔓を伸ばし始める瞬間がある。そうなった時、「あ、回復してきたな」と感じる。

 

今回思い浮かんだのは、映画だった。大好きな映画『スポットライト』を観たいという想いが、ふっと芽吹いた。

そこから、蔓が伸び始める。

七つの海のティコ』『スリービルボード』『シェイプオブウォーター』などが次々と浮かんでくる。楽しい。『スノーデン』『ミスティック・リバー』もいいなぁと思う。

 

人は好きなものに囲まれていないとダメになる、というのが、今の私の持論だ。

没頭するほどおもしろい作品に出会えないと、生きる力も創作意欲も枯渇していく。テレビ出演しつつも個展を開く芸能人のニュースなど見ると、私はなんて凡人なんだろうと思う。落ち込む。

 

才能を見つけるポイントは、「自分が自然とやっていることで、他人からもお返しがあることだよ」と、ある人が教えてくれた。

 

今の私が自然とやっていて他人からお返し(感謝)されることは、お悩み相談に乗ること、読書の趣味から高じて本を紹介すること、だ。

正直言うと、読書は司書の仕事を始めてから意識的にし始めたことなので、たとえば創作の才能を伸ばしたければ、完璧主義にとらわれず地道に始めた方が良いのだろう。継続は力なり。

 

書きたいものは明白なので、あとは甘えず、努力するのみである。

あれ。好奇心と疲労回復の関係性をまとめる記事だったはずなのに、創作を始めたいという話になってしまった。

まあいっか。

 

ボヘミアン・ラプソディ

つい先日ゴールデングローブ賞をとった映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観てきた。

立場を明らかにしておくと、私はQUEENというグループについて名前しか知らず、曲もよく知らない。前情報がまったくない状態で、映画を鑑賞した。

なぜ観る気になったかというと、評判がとても良いのと、QUEEN大好きな恋人が観たがったためだ。

ロック・ミュージシャンに苦手意識はあったけど、重い腰を上げた。

 

鑑賞後。

複雑な気持ちの渦の中に、私はいた。

もっと熱い気持ちになるかと思っていたのに、実際は心に大きな哀しみが広がっただけだった。

 

フレディという偉大なアーティストを喪った哀しみもそうだが、フレディが孤独を快楽で埋めようとした描写に、感情移入してしまったのだ。

 

自分が性的マイノリティだとわかった社会的な孤独とともに、絶対裏切らないと思っていた妻が指輪をはずし、家族のはずだったバンドメンバーを信じられなくなっていくフレディ。

人気絶頂の狂騒の中で、彼は心のよりどころを外側に求めていく。恋人、愛人、酒、ドラッグ、連日のパーティー

外側の何かで埋めようとしても、自分の中の虚無は埋まらない。

家族同然だったメンバー、妻、スタッフの愛を拒んだ代償は、エイズという形で現れる。

華々しいロックの世界とは裏腹の耐え難い孤独。

ともすれば鬱屈としたけだるさがただよう画面に、私はひたすら哀しいと思ってしまった。

 

帰り道、恋人が教えてくれた。

 

「ロック・ミュージシャンは自分の想いを音楽にぶつけるんだよ。みんな大体根暗だよ」

 

音楽をやっている人はみんな根明だと思っていた私には、目からウロコだった。

画面にただよっていた濃厚な闇を、ようやく自分の中に消化することができたのだった。そうか、根暗か。

 

一夜明けた。

遠い人たちだと思っていたQUEENの楽曲に、いまとても惹かれている。

彼らは何を考え、何を想い、何を歌ったのだろう。

楽曲を聞き、歌詞を読むことで、少しでも彼らを知りたいと思う。

これからが楽しみだ。

 

 

2018年読書備忘録

明けましておめでとうございます。

今年も感じた気持ちを正直に言葉にしていくのが目標です。どうぞよろしくお願いいたします。

 

新年最初は、去年までに書きたかった記事。

《2018年の読書まとめ》を。

 

 

《新年1冊目は、まさかの『クリスマス・キャロル』》

2017年の12/25のために図書館で借りたはずが、まさかの年越しになってしまったクリスマス本。そういえばそうだったなぁと2018年の1月を振り返りつつ、まったく覚えていない自分に一番の衝撃を受けました。


《ハリポタ完読!》
2016年の6月から、遅々として読み進めていたハリポタ。読み終わったのは、2018年の1月10日でした。

つまり、約1年半、ハリポタワールドを堪能していたことになる計算。ゆっくり読んだなぁ…。
ハリポタ旋風が巻き起こったのは、私が高校生の時。

流行りものに乗っかるのが嫌だった私は、いろいろ難癖をつけて読まなかったのでした。読んだら負けとすら思っていた。何と戦ってんのよ。

あの時の私に言いたい。意固地になってもいいことないよ、素直になっちゃえよ、と。

原作読まないと意味わからないから!細かな伏線回収に感動するから!!読めよ!!!!(←タイムマシンに乗って叫ぶ)

とにかく、おもしろかった。

良き読書でした。


野村美月『吸血鬼になったキミは永遠の愛をはじめる』で、切ない打ち切りを体験する》
リアルタイムで刊行されていた当時、4巻以降は買わなかったシリーズだった。

吸血の衝動に駆られる詩也の姿が、性欲に負ける男性のイメージと重なり、嫌悪感から読めなくなってしまったのだ。

あと、なんだかんだで続くと思っていた。文学少女で人気を博した野村美月先生だったし。

それがまさか、5巻で打ち切りになっていたなんて…。
5巻でおもしろくなってきただけに、打ち切りを知らされたあとがきの衝撃たるやすごかった。リアルタイムの読者なんて、その何百倍もの衝撃だっただろうけど。

救いだったのは、続きの物語が1冊出版されていたこと。ダイジェストではあるけど、「こういう物語にする予定だった」話をエピソード形式で読むことができて切なかった。

正直言って、めちゃくちゃ泣いた。本を読んで泣いたのは、ソーニャ文庫の『誘拐結婚』に続いて2冊目。気づいたら、物語に引き込まれて泣いていた。

なぜ雫が詩也に執着するのか、ずっとわからなかった。

本編を読んでいた時は、もしかしたら詩也と綾音の恋は結ばれないんじゃないかとすら思っていたほど、雫の存在感が圧倒的だった。

実は、雫のかつての恋人が、詩也の前世だったなんて。

本編でちゃんと読みたかった。刊行当時、野村先生を信じて買えば良かった。あんな後悔ってない。

雫と愛を誓い合ったはずの九郎。再会する前に殺されてしまった。その死別の場面が、切なくて。今こうして書いていても、また涙が出そうだ。ぎゅっと胸が苦しくなる。

面白く読んでいた読者にとって、打ち切りは切なくて残酷だと思い知ったシリーズとなった。


《2018年の作家読みは、三川みりさん》

毎年、誰か一人は作家読みをする。気になった作家の作品を全部読むのだ。2018年の作家読みは、三川みりだった。
ずっと気になっていた角川ビーンズ文庫のシリーズ『シュガーアップル・フェアリーテイル』。長編シリーズを数多く出版している作家さんは、期待が持てる。

シュガアプ、封鬼花伝、箱入り王女の災難、単発の作品…三川さんの作品をほとんど読んだ。

総合的な感想は、「私には合わない」。

非常に残念なことに、三川さんの作品は好きになれなかった。

思うにこの作家さん、 キャラクター造形と話の展開が全体的に甘い。ユニークで魅力的な設定を生み出すことには、長けていると思う。けど、あまりに作家都合で物語が進みすぎる。キャラクターの心理描写も幼い。そのため、話の盛り上がりですら入り込めず、完全な他人事読書になってしまい、読み進めるのがしんどかった。一番好みだった箱入り王女の災難は打ち切りのような形で終わってしまったし、お花畑全開の『一華後宮料理帖』に人気が出てる現状に、呆然とする。

お好きな方ごめんなさい。

人気のシリーズ『一華後宮料理帖』の1巻を読んで、「もうこの人の作品を読むのはやめよう」と決めた。シュガアプの途中あたりからモヤモヤし始め、封鬼花伝で主人公の幼さにドン引きし、箱入り王女の災難で持ち直したものの、一華後宮料理帖で再び引いてしまい、読み進めるのが困難になってしまったのだ。

絶対おもしろいと思って期待して読んだ作家さんだったから、落胆も大きかった。三川みり作品を楽しめない自分が悲しかった。ただただ残念だった。
シュガアプのあきさんのイラストが可愛かったので、ファッション読書的に集めるのはいいかもと思ってます(悲)。


気を取り直して。


姫神さまシリーズの再読制覇!》
2018年4月より、学生の頃に大好きだった少女小説姫神さまに願いを』(藤原眞莉)を読み始め、 12月7日に読み終えました。読み応えのある戦国ファンタジーに打ち震えている様子は、こちら のブログ記事で。


《海外の女性作家の作品がおもしろすぎた》
ケルスティン・ギア、シャンナ・スウェンドソン、スーザン・イーリア・マクニール…。魅力的な海外の作家さんに出会えたことがとても幸せだった。
『夫に出会わないためのTO DO リスト』(ケルスティン・ギア) はタイムトラベルもののファンタジー、かつ「運命の人とはどう( マイナス方向に)頑張っても結ばれちゃう」というラブ・コメディだ。ハリウッドで映画化とかしそう。主人公の友人が、運命の人を気取る遊び人に、変なスピリチュアル治療をほどこされている様子がユーモアに描かれていて笑った。
『ニューヨークの妖精物語』(シャンナ・スウェンドソン)は、妖精界と人間界のはざまをリアルに描いていて驚いた。この作家さんはいろいろ勉強しているのだろう。そして、セントラルパークに行きたくなる。
スーザン・イーリア・マクニールは先日の記事に熱い想いをこめたので割愛する。


《安定の白川紺子さん》
後宮の烏』『下鴨アンティーク』『契約結婚はじめました』… どれをとってもおもしろく、安心して楽しめた。
個人的には、コバルト時代の作品より、オレンジ作品の方が白川さんらしさがにじみ出ている気がしておもしろいと思う。twitterからも着物大好きな様子が伝わってきて、『下鴨アンティーク』はこの人あっての作品だなと感じました。


《『騎士団長殺し』と『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』をじっくり味わう》
村上春樹作品は長編が好きだ。というわけで、気になっていた二作品をゆっくり読み進めた。

イデアという概念には馴染みづらかったけど、騎士団長の「~~あらない」という言葉づかいが好きだった。コミカルで可愛い。
『世界の終りと~』は最後、主人公が現実に帰ってきてほしかったな。

 

 

そんな感じの読書をした2018年。
他にも、あんびるやすこさんの『魔法の庭ものがたり』シリーズ、篠原美季さんの『英国妖異譚』シリーズ、福永令三さんの『クレヨン王国』シリーズなどを読み進めました。シリーズ読みは今年も進行中。
今年は十二国記の待望の新刊も出るので、『魔性の子』から読もうと思っています。
2019年の作家読みは、まだ決めていません。誰にしようかな。今のところ、藤原眞莉さんになりそうだけど、どうだろう。

 

好きな物語に埋もれるような読書ライフが送れたらいいな。

 

 

再読~姫神さまに願いを

藤原眞莉著『姫神さまに願いを』本編26冊を読みきった。
言わずと知れた、コバルト文庫の名シリーズである。

今年の4月20日から読み始め、他の本をはさみつつ、12月7日に読み終えた。8、9ヶ月の長い読書。でも、長い歴史を紐解いたような満足感が、そこにあった。


中学生の時、『東京S黄尾探偵団』とともに、人生で初めて少女小説に触れた作品だった。
もちろん、ちゃんと最終巻まで読んだのだが、当時の私の読解力では理解しきれず、もわ~んとした印象のまま終わっていた。


それって、もったいなくない?
再読したら何かが変わるんじゃない?


そんな思いを募らせて、2018年。満を持しての再読。
ここから先に、思いの丈をぶちまけてある。パトスがほとばしり、興奮を垂れ流しただけの読書感想だ。ネタバレありなので、大丈夫!という方だけ読み進めてください。


















★再読しての感想


「こんなにすごい物語だったのかーーー!!!」という一言につきる。お布団の上で「すごいー!すごいー!」と叫びながら、ゴロンゴロンしたくなるくらい。大長編の戦国絵巻だった。少女小説ナメてた。


今ってこんな少女小説ある!?ないよね!!?と、誰に向かってかわからないドヤ顔をする。
こまっかい伏線と物語の奥深さ。きちんと歴史を踏まえつつ、藤原流の解釈をくわえ、コトコト煮込んだ戦国闇鍋絵巻。

リアルタイム時、「後半複雑すぎて意味わかんなかったなー。暗いし」とか思って、理解することを安易に放棄した昔の私を張り倒したい。


何より、多彩で一人一人のキャラクター造形が深く、複雑な因縁の絡み合いを見事書き上げた藤原眞莉女史に敬意を表したい。



テンは、葛葉姫時代の将門編『永遠国ゆく日』が大好きだ。

保名への愛と将門への恋で揺れ動きながら、「…どちらも、好きなのよ」と悩む葛葉が美しい。冷静に見ると、家庭がありながら他の男を好きになった女性だから反発心が芽生えてもいいはずだけど、それを美しい平安絵巻にしちゃうところが藤原先生のすごいところ。

将門は死後もテンへの呪詛に使われるくらい(『遠国散る恋華』)、テンの気持ちをかき乱す相手。目の前で、しかも自分の手で殺した相手だもんね。将門にカイが嫉妬する場面は、こちらも熱くなったわぁ…。いいぞもっとやれ。


しかし、平安編と並ぶ過去編・鎌倉時代の『夢路の剣』は、なぜ書かれたのかが長らく私の中で不明であった。平安編は好きだけど、鎌倉編の存在意義とは…?とか疑問視してたけど、バカバカバカ。
本編を理解する上で、ひっじょーに深い伏線が張ってあるじゃないか…!バカ…!(何度でも言う)


そもそも名無しの摩多羅だったテンに、「テン」という名前をつけたのは北条政子だし、マナ(大姫)とアラヤ(義高)の因縁も鎌倉から生まれている。そして、すべてが終わった鎌倉で眠っていたテンの顔を里見実堯が足蹴にし、その因縁が記念すべき第1巻を生んだのだ。私はいったい何を読んでいたんだろう?(張り手)


鎌倉編といえば、カイだ。
カイは足利将軍の隠し子で比叡山の僧侶だったわけだけど、その血筋をたどっていくと、頼朝と稀女につながっている。ここらへんの伏線回収は完全に記憶を失っていて、あまりの衝撃に一瞬時が止まった。うそやん…。
また、『様々果恋草子』を読むと、稀女よりもっと前の母親はナギだとわかる。つまり、大元をたどると、カイとナギは母子なのだ。…はああああ!!?(驚愕)
もうほんと何度も言うけど、リアルタイム当時、いったい何を読んでいたの。テンとカイの恋模様だけ見て、本編の筋をおってなかった…ハハ。


カイが頼朝に「父上…」ってつぶやく場面、感動したなぁ…。
頼朝は玉女である政子とは、血の未来を残せない宿命だった。でも、表舞台には出ずとも血筋を残したい頼朝の願いをテンが聞き入れ、頼朝の血を後世に残すためにつれてきたのが稀女だったのよね。

その時点で、同じ女としては雅子に感情移入してしまう。さらに、政子がテンを平手打ちするシーンが、より切なかった。
「血の未来を残せない者同士、わかり合えると思っていたのに…!」と血を吐くように叫ぶ政子。自分(政子)の子孫は絶えてしまう運命なのに、他の女性(稀女)との子孫は続いていく。しかも、夫に女を引き合わせたのは、親友だと思っていた友達だった。夫と友達と、二重に裏切られた気持ちだったろう。女の矜持が許さないよね。政子ちゃん。


しかし、頼朝が願った血筋は、カイに脈々と受け継がれ、そのカイがテンと子をなして、その子どもは天海上人になる(最終巻『久遠の夢の涯』)。
よくこんな話思いつくよなぁ…。どういう流れで思いつくのか、藤原先生に聞いてみたい。


ラストは大団円の姫神さま。

ルイスに黄泉路へ送られたテンは、カイの献身的な願いでよみがえり、人間となる。夫婦になったテンとカイは、男女の双子を授かる。

オチ自体は手垢がつくほどいろんな物語で使われているけど、そこにたどりつくまでいろーーーーーーーーーーーーんなことがあったからこそ、祝福の感情とともに本を閉じれたのだと思う。
この感情こそ、キャラクターたちが私の中で生きていた証で、小説に必要不可欠な要素のひとつだ。


実は、リアルタイム時の私に欠如していたのも、キャラクターたちへの共感だった。
というのも、なぜカイがテンに惹かれたのか、まったくわからなかったのである(そもそも)。

3巻の『浪の下の都』で、カイはテンのプロポーズを受け入れる。けど、それがけっこうな急展開で、当時の私は「???」だった。カイがいろいろ巻き込まれ、なし崩し的にテンのことを好きになったように感じ、釈然としなかった。


でも、再読してわかったのは、『遠国散る恋華』で描かれていた保名の強い想い。
まさか保名が「次こそは葛葉(=テン)と添い遂げたい…!!」と強く願っていたからこそ、冥界で閻魔様に拾い上げられ、転生できたなんて…!!
姫神さまという作品に謝りたい。

保名はどんくさくい。そして、やさしすぎる。
葛葉には振り回されっぱなしだったし、妻が他の男(将門)に惚れたと知ってもなお、彼女の幸せを願った。そんな彼の中に、こんな激しい恋情があったなんて。
カイがテンを好きになったのは、保名(カイ)の魂がテンを求めていたからだと心から納得した。
テンとカイは相思相愛なんだなぁ。


激しい恋情といえば、信長と生駒。
信長は生駒だけを追い求めて、生駒が死んでもなお生き返らそうとして、甦りも成功させたけどうまくいかなくて、最期は二人一緒に本能寺で果てる(史実とは違う)。
作中の信長はとんでもない輩として描かれているけど、実は生駒が一番狂っていると思う。五徳が殺されそうになったところを力技で助けたあたりはお母さんだなぁと思うけど、こと信長がからむとヤバい人だ。

『荊いだく蝶』からの11冊が姫神さま第四部なわけだが、二人の執着愛が軸となり進んでいく。

信長と生駒だけピックアップして、執着愛系ノベルのソーニャ文庫とかイケるんじゃないの?と思った。

ソーニャ文庫だと、武田勝頼と朝緋のカップルもいい感じに歪んでていいと思う。
平三も恋愛に関しては融通の利かないキャラだから、日菜姫に執着愛してくれたら萌えたのになぁ。実際の平三は、テンを想い続けたわけだけど。


カイの親友、平三。少年山伏姿のテンに求婚した『巡恋夏城』は、リアルタイム時何度も読み返したお気に入りの巻だ。平三が歴史書について熱く語るシーンが、本好きとして萌えたのだった。このあたりの鳴海ゆきさんのイラストも、安定していて好きだったし。
対になってる『秘恋夏峡』を読むと、平三は兄・晴景と母・五瀬の不義の子だったことが発覚する。それで平三がかたくなに仏門に入ろうとしていた理由がわかる。

『夢者の孤国』は平三好きにとっては過酷な巻だった。

初恋であるテンをずーーーっと想い続け、死んでもなお想い続けていた平ちゃん。最後に正々堂々とカイと一騎打ちし、カイの手で黄泉路に行くことを選んだ平ちゃん。あ、だめ、涙で視界がかすむよ…。

『様々果恋草子』では、平三の相手として、藤原女史オリジナルキャラクターの日菜姫が登場する。日菜は平三の玉女(=ソウルメイト)だったのに、初恋のテンを選んでしまったくだりでは、「えっ、それいいの?」だった。歴史に日菜姫なんていないから、平三が日菜姫を選んだらおかしくなっちゃうけど、女性として生きる身として考えると、運命の人が他の人ずっと好きってけっこうつらくないか。


姫神さまシリーズって、「男女の因果因縁の話」だと私は思っている。

玉女を今風に言うと「ソウルメイト」「運命の人」になるわけだけど、藤原眞莉さんは「〇〇(女性)は〇〇(男性)の玉女」という言い方をする。すごく古風で雅だなぁと思う。

今はスピリチュアルが一般化して、いろんな人がネット上で運命の人についての記事を書いている。
「ソウルメイトと出会うためには」とか「ツインソウルの特徴」とか、中には不倫を正当化するような記事もあったりして、情報氾濫もかくやという荒れっぷりだ。
薄っぺらい恋愛指南スピの本を読むくらいなら、小説読んだ方が良くない?という…これは持論だ。


姫神さまには、テンとカイ(保名)、信長と生駒、頼朝と政子…いろんなソウルメイトの形が描かれる。どのカップルをとっても同じ形はなく、それぞれが課題(カルマ)を背負い、それぞれの試練を乗り越えていく過程が丹念に描き出される。

輪廻転生と男女のカルマをここまで描き切った作品は、なかなかない。
しかも、この作品は1998年から始まっているのだ。
今のスピブーム以前から描き出された作品なのだ。

大人になってから読み返すと、そこかしこに凝らされている趣向に、鼻息が荒くなる。この作品が絶版となって中古本だけが出回っている現状がつらい。あまりにも惜しい。
何より、「後半よくわからなくなったしー」と思って、後半部分の十数冊を安易に古本屋さんへ手放してしまった昔の私をぶん殴りたい。お願い!帰ってきて!今度は一生大切にするから!!

現在、再び集め中。
再販!!再販してくれー!!!!(絶叫)


以上、『姫神さまに願いを』の読書感想でした。

クリスマスの読書

クリスマスシーズンに入った。


12月25日までのクリスマス商戦の雰囲気が好きだ。イベントに向かうワクワク感と期待が、そこかしこにあふれだす。
大人になっても、クリスマスというだけで子ども心が満たされていく気がしてならない。クリスマスを過ぎたら、年末年始も待っている。重なるイベントの数々を想うと、自然と心が躍る。

 

大人になるとサンタさんからプレゼントをもらえる楽しみはなくなるので、いつしか自分をクリスマスらしさで盛り上げるようになった。

読書が趣味の私は、「クリスマスらしい小説を読むこと」だ。


今年はミステリーを読みたい。
ということで、クリスティーの『ポアロのクリスマス』とウィングフィールドの『クリスマスのフロスト』を図書館で借りることにする。

読むのが楽しみだ。

 

ところが、定番の児童書も読みたくなってきた。
クリスマスを題材にした児童書は、読んでいて楽しい。
サンタさんを信じていた頃を思い出して心がやわらぐ。

けっこう長くサンタさんを信じさせてくれた両親には感謝しかないし、自分に子どもができたらサンタさんの夢をできる限り長く見させてあげたいとも思う。
クリスマスを幸せに過ごせるかどうかって、きっと、けっこう大事だ。

 

さてさて、何を読もう。

 

マイケル・ボンドの『パディントンのクリスマス』やディケンズの『クリスマス・キャロル』は定番だ。クリスマスの夜から始まる『若草物語』は繰り返し読んだし…。


そうだ、福永令三さんの『クレヨン王国森のクリスマス物語』はどうだろう。

 

あらすじは、「童話作りに行き詰まったフクナガさんがクレヨン王国に迷いこむお話」だという。お、おもしろそう…。

覚えていないので、子どもの頃には読んでない可能性が高い。たしかに、童話作家の大人が主人公じゃ、興味を惹かれないかもなぁ…今の私には興味しかないけど…。

大人の読者の受け皿も用意してくれてるなんてクレヨン王国は偉大だ、とか大げさなことを考える。…いや、実は本気なんだけども。

 

ということで、クリスマスに読む児童書は『クレヨン王国森のクリスマス物語』に決定した。こちらも図書館で予約をかける。

 

それにしても、新装版じゃないクレヨン王国の全シリーズが復刻されないかなぁ。そうしたら買うのに。全力で買いに走るのに。

 

つくづく本は一期一会だ。いつまでもあると思っていると、新装版に姿を変えてしまう。

大人になると、子どもの頃がなつかしくなる。あの時親しんだものに触れたくなる。やっぱり、昔読んだイラストで読みたい。

 

アガサ・クリスティーにハマったのも児童書版の『オリエント急行殺人事件』からで、あの独特なポアロのイラストが好きだった。フロストシリーズのフロストはあの頃のポアロのデジャ・ビュで(たぶん同じイラストレーターさん)、今回選ぶきっかけになった。

 

そう考えると、私にとってのクリスマスは、子どもの頃を思い出して味わうイベントなのかもしれないなぁと思う。

大人になってからは仕事が忙しくて、クリスマスを楽しく過ごした記憶がない。クリスマス商戦の最前線にいたり、かと思えば年末前ということで営業の追い込みをしている年もあった。

最近は、図書館に通常出勤する年が続いている。

恋人とプレゼントを贈り合うことはあっても、やっぱりサンタさんを待っていた子どもの頃のクリスマス・イブにはかなわない。

 

今年もまた、物語からクリスマスを味わう日々である。

もし自分だけのおうちがあったなら~『オンネリとアンネリのおうち』

映画公開に合わせて、『オンネリとアンネリのおうち』を読む。


自分の想像をはるかに越えたおうちに住めたら、どれだけ楽しいだろう!

仲良しのオンネリとアンネリは、ある日薔薇乃木夫人から手違いで建てられてしまった「小さな女の子が二人で住むおうち」を買い取る。

私がオンネリとアンネリだったら、と思うと、空想が止まらなくなった。



大好きな本を全部並べられる図書館みたいな部屋。

あんびるやすこさんの『魔法の庭ものがたり』や福永令三さんの『クレヨン王国』を並べても、全然余裕な本棚。

倉橋燿子さんの『いちご』『青い天使』『パセリ伝説』。

荻原規子さんの『西の善き魔女』。

小野不由美さんの『十二国記』。

雪乃紗衣先生の『彩雲国物語』。

松谷みよ子さんの『アカネちゃん』。

角田栄子さんの『魔女の宅急便』。

ああ、想像するだけで、幸せな気持ちになる。


クローゼットを開けると、普段は着れないようなパステルカラーのお洋服たち。レースやリボンや小花柄。

広いキッチンには三口ガスコンロにお菓子が作れるオーブンレンジ、食べ物がつまった巨大な冷蔵庫。お買い物に出かけなくても、その時に必要なものが入っている。

広いお庭には、美しい草花とハーブが植えられていて、おうちには庭からとってきたお花が生けられている。たまにフレッシュなハーブティーをお隣のノッポティーナさんとプクティーナさんに振る舞う。

洗濯機やお風呂やトイレや…と考える。もちろん、自動的にほこりをとってくれるはたきも。ああ、楽しい。幸せだ。



ある日、小さい女の子に自分だけのおうちができる話って、いくつになってもときめく題材だ。


いま読み進めているあんびるやすこさんの『魔法の庭ものがたり』シリーズも、主人公のジャレットがハーブ魔女のトパーズからおうちを相続する話だった。

私にもそんな奇跡が起きないかしら、と思いながら大人になってしまったけど、ただ願っているだけでは奇跡ってやってこないなと思った。


オンネリとアンネリは拾った大金を届ける正直者だったから薔薇乃木夫人のおうちにたどり着いたし、ジャレットは思いやりの心と丁寧な生活ができる生活力を持っているからトパーズ荘を相続できた。

奇跡が起こるだけのベースを、彼女たちは育んできたのだと思う。

自分を省みた時に、「いつ奇跡が起こっても大丈夫!」と胸を張れるよう、日々丁寧に生きていくことが大事なんじゃないか。


北欧の児童書を読みながら、そんなことを考えている。

出版社のHPは一服の清涼剤

私は疲れ始めると、東京創元社原書房のHPに行き、未読本を発見しては「ぐふぐふ」とくぐもった鳴き声を発する生き物になる。

本のタイトルから英気を養うUMAになるのだ。

 

東京創元社では、ファンタジーとミステリーを中心にながめる。

…ショーニン・マグワイアの『不思議の国の少女たち』『トランクの中に入った双子』が気になるなぁ…。

アッ、乾石智子さんが1月に新刊を出すじゃないか!『青炎の剣士』?紐結びの魔道士三部作の完結かー。

そういえば、本格ミステリ・ベスト10にランクインしてるアンソニーホロヴィッツの『カササギ殺人事件』、読書メーターでも評判良かったなぁ…。7位にランクインしているロバート・ロプレスティの『日曜の午後はミステリ作家とお茶を』も気になる。読みたいなぁ…。

 

原書房では、コージーミステリーをひとしきりながめる。

クレオ・コイルの新刊出るのか!メモメモ。

ゆ、『誘惑の言葉はフェルメール』!?なんだこれ…あ、ハーレクインか…。

この表紙気になるぞ。カレン・マキナニー『秘密だらけの小学校』?どんな話だろう…(ポチッ)…なになに、ママ探偵の事件簿?ほぉ~。結婚して子供が生まれたら読みたいなぁ。

ハッ!『「赤毛のアン」クックブック』!!?赤毛のアンに登場する料理のレシピ本なのかしら!…あれ、違った。モンゴメリのお孫さんが、物語世界をイメージして作ったのか…ふむふむ。『赤毛のアン』は創刊110周年なのか、へぇ…。

 

みたいな。

感じで。

気になる著者をクリックしては作品一覧をながめまわす作業を、小一時間続ける。気になる作品がシリーズものだと、鼻息が荒くなる。高速でマウスをカチカチッと連打し、よだれをたらさんばかりにながめる。穴が開くほど見つめる。それだけで、気力がよみがえってくる。

出版社様、ありがとうございます。

 

 

しかし、注意しなければいけないのは、海外作品のシリーズの場合、売り上げいかんによっては、途中で未訳になってしまうことだ。

 

そうなっては困るので、気に入った作品はできるだけ買っている。最近は絶版になるのも早いし。

最初に刊行された分が絶版になってしまったシリーズを、断捨離にハマっていた頃、手放してしまったのは本当にもったいなかった。今でも悔やんでいる。つらい。

ローラ・チャイルズの『お茶と探偵』を全巻持っていらっしゃる方は、大切にしてください。私の分まで。

 

しかし、いくらシリーズが好きと言ったところで、栗本薫氏の『グイン・サーガ』はダメだ。まだ手に取るのが怖い。きっとその先には、沼が待っていると思うから。