『英国妖異譚15 アンギヌムの壺』篠原美季

アンギヌムってなんだろうと思ってネット検索してみたら、アンギヌスというラテン語で「蛇」という意味でした。
作中、なんの脈絡もなく蛇が出てきて戸惑ったのだけど、その辺わかっていたら「ほうほう!」となったはずなので悔しい。くそう。
 
マイペースに読んでいる英国妖異譚シリーズも15巻に突入しました。
14巻を読み終わったのが4月5日だったので、ほぼ半年ぶりの読書再開。にもかかわらず、すぐにのめりこんでしまった。この物語の威力よ…。
 
この家は、歪み、腐敗している。
(『アンギヌムの壺』p.95)
 
英国妖異譚は、霊能力者(ユウリ)の浄霊を描いたシリーズだと、私は思っている。
物語では「除霊」という言葉を使っているけど、ユウリがやっているのは「魂の浄化」だからだ。
除霊と浄霊は違う、と聞く。
除霊は横にスライドさせること。力で押し出し、その場から別の場所へ移動させること。「除く」こと。
浄霊は愛と光で包み、天に「浄化」させること。
 
主人公のユウリは、低次元に堕ちてしまった存在を、愛と光で包み浄化するお役目を持っている。
そんなユウリを現実的に支えているのは、フランスの貴族 シモン・ド・ベルジュ。
そして、ユウリを魔術的にサポートするのは、魔王 アシュレイ。
悪の強いキャラクターが適切に配置され、ユウリのお役目を支えている。
巻を追うごとにキャラクターへの愛着が深くなり、心への刺さり方もどんどん増していくから不思議だ。
 
 
15巻はユウリの後輩・オスカーの複雑な生い立ちが明らかになる。
代々続くドゥーティー家の繁栄。
その鍵を握る魔法の壺は、凄惨な事件を引き起こす呪いの壺でもあった。
 オカルトな事件と壺でこういう物語が編み出されるのか~と驚愕しながら、ほんほんふんふんと読みふけった。
 
こういう時、読書は二種類あるとしみじみ思う。
心で読む読書と、頭で読む読書。
今回は心で読む読書だった。
私が真実だなあと感じることが描かれていて、とても好みだった。 
 

「そうだな。ありがたいことに、お前みたいに世間の常識にすがって生きるほど愚かではない」(『アンギヌムの壺』p.268-269) 

 

油断するとすぐ頭で考えがちな私にとって、己を信じ、自分の直感を頼りに生きていくアシュレイやユウリは、たまらなく魅力的だ。
うらやましい。
 
作中で魅力的とされるシモンは、どちらかというと「常識人」で、「名門ベルジュ家の長男」という枠におさまり、超人的な才能とカリスマ性で現実世界に生きている。
富・名声・財力すべてを手にしているシモンは「現実的な側面」では最強の男なわけだけど、世間のしがらみにとらわれることも多い。
 
そんな時、世間のしがらみなどどこ吹く風で現れるのが、アシュレイだ。
彼は自分の思うままに生きる。そのためには他人がどうなろうとしったこっちゃない悪魔だけど、常識にとらわれない心の自由さがある。だから、魔術的な事件に遭遇した時にもあわてず、直感を通してユウリの力になれる。
 
常識にとらわれないという意味では、ユウリが一番だろう。
彼の心は澄み切っていて、どんなに信じがたいものが目の前にこようとも、あるがままを受け入れてしまう度量の広さがある。
 
15巻で出番の多かったオスカーは、まだ「世間の常識」にとらわれている。でも、柔軟だ。伸びしろがある。
今後オスカーがどんな風に変わっていくのかとても楽しみだし、私自身、彼らに負けず成長していきたい。
 
まずは、この物語を心で受け取れただけでもヨシとしよう。
 

2019年の読書まとめ

2019年も読んだなあ。
今年も心ときめく本にたくさん出会えて幸せでした。


今年はなかなかに激動の年で、 ハアハア息切れしながら走っていたような感じでした。
普通だったら1年に1回あるかないかの大きなイベントばかりで、もはや年始の記憶がありません。
1月とかなにしてたっけ……?


特に忙しさのピークだった秋冬に読んでいたのが『十二国記』。
過酷な運命に翻弄されるキャラたちに勇気づけられ、「 私も頑張ろう」と思ったのは、一度や二度ではありません。
陽子や尚隆、珠晶だって楽して王になったわけじゃなく、 それぞれが自分の心の弱さと向き合い、 その弱さを認めて強くあろうと努力したからこそ、 民や臣からの信頼を勝ち得たわけで。
十二国記の王って失道したら即死なので、 彼らと比べたら私なんて人生イージーモードじゃんと思いながら、 なんとか乗り切りました。息切れしてますけど(軟弱)。


18年ぶりの新刊も読みました。戴国。マジで待った。 何せリアルタイム世代。

序盤は「THE 忍耐」という感じの進み方で、 読んでるこっちの忍耐力も試されましたが、 巻が進むにつれてもう興奮が抑えきれない展開で大変でした。 わー!泰麒ー!お前ってやつぁー!!


このあたりの細かな感想は、また別の記事で書きたいと思います。

 


夏から秋にかけて読んでいたのは、『ヴィクトリアン・ローズ・ テーラー』シリーズ。
以前少し記事にしましたが、近代英国を舞台に、 ドレスを作るお針子の主人公と青年貴族の、 身分違いの恋を描いた長編です。 外伝を含めると28冊あるのですが、 読み終わるのが惜しいくらいおもしろかった!何より、 素敵なドレスがたくさん出てきてうっとりでした。


主人公のクリスは、 お客様の心の形をそのままドレスに作り出す才能の持ち主。 読んでいた頃は純粋にいいな~なんてあこがれてましたけど、 今はちょっと怖いと思います。
だって、自分の心が丸裸にされる覚悟は、なかなか持てませんもの。

たとえばクリスにドレスを作ってもらったとして、素敵なドレスが仕上がりますように、自分の心を素敵な方向に磨いていけたらと思います。

 


他には、ずっと読みたかったシリーズにも挑戦しました。
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ大魔法使いクレストマンシー』 シリーズ。

現在3冊まで読みましたが、 めちゃくちゃおもしろい!
ダイアナ・ウィン・ジョーンズの魔法は、 リアルな高次の魔法に近いなあと感じます。ジョーンズ本人も「 私が書く小説はよく現実になってしまう」と書いていますし、 私はDWJの本自体に魔法がかかっているんじゃないかと疑っています(笑)。
来年もこのシリーズは読み進めていくつもりです。

 


2019年は水中考古学のプロジェクトに参加したり、入籍したりと、新しい経験に恵まれた年でした。

それに比例して、内面も、古い価値観から新しい価値観へと変化を余儀なくされました。 手に取る本も自然と重厚感のあるものが多くなり、 読み応えのある本に恵まれた年でもあったと思います。
この流れはきっと、来年も続くのでしょうね。たぶん(笑)。


来年はもう少し、読書の記事を書けたらいいな。
それでは、良いお年を。

 

『魔性の子』小野不由美

祝・十二国記新刊発売!!!!(∩´∀`)∩

 

いやー、待った。すっごく待った。

友達と「そういえば、戴どうなるんだろうねー」と話していたあの頃。

 

とはいえ、泰麒を知る上で欠かせない『魔性の子』を、私は読んでいないのだった。

なぜ読んでいなかったかというと、当時十二国記講談社ホワイトハート文庫から出版され、『魔性の子』だけは新潮文庫から出ていたからだ。

あくまでも「読んだら十二国記の世界観とつながってるよ~。良ければ手に取ってみてね~」的な外伝ポジションだった(と記憶している)ので、当時高校生だった私は、「ならいっかー。暗そうだし」と読まなかった。

今より読書に自由だったが、その分怠惰でもあったのである。

 

 
帰したくなかった。自分が帰れないのなら、せめて誰もが帰れないままでいてほしかった。(『魔性の子』p.482)

 

大人になって初めて手に取った『魔性の子』は、主人公・広瀬のエゴの物語だった。

周りに怪異が起こりどんどん孤立していく高里(泰麒)を、自己犠牲の精神で守っていく広瀬の物語。

 

たぶん高校生の頃の私だったら、廣瀬の愚かさを笑えたと思う。

もしくは、ラストで高里を引き留めた広瀬を「自分勝手だ」と憤ることができたかもしれない。

 

でも、今の私は、とてもじゃないけど広瀬を笑うことなんてできなくて、逆に私が広瀬の立場だったら、はたして同じ態度を取らなかったかどうかというと自信がない。 読後はただただむなしいというか、広瀬の絶望を思わずにはいられなかった。

 

高里を害したら、害した者に怪異が訪れる。
これは、すごく魅力的な「特別感」だ。
誰もできない「高里を守る」というポジション。

 

私はそのポジションに、存在意義を見出さずにいられただろうか?

 

「〇〇のために」が、実はエゴだと気づくのは難しい。
魔性の子』のミソは、高里からは一度も助けを求めていないところだ。
 むしろ、高里は離れてほしそうですらあった。

 

助けたいと思って自分を犠牲にしていたのは「広瀬の意志」であって、高里の意志ではないのだ。そこが本書の一番怖いところだと思う。

 

「あなたのためを思って」と言う先輩社員ほど、実はめんどくさく、パワハラ気質であることと同じで。 

誰かを助けることに存在意義をのせてしまう姿勢は、形を変えた依存なのだ。

 

私だって、誰かのために、無理をしてまで頑張ってしまうことがある。そして、体力気力が小さくなって初めて、「あ、これは違うぞ」と気づいて、距離感を修正したりする。

 

無意識の依存は、時に人をどうにもならない窮地に立たせたりする。 『魔性の子』の広瀬は、ラストで後戻りができなくなった自分に気がつく。 高里がいなくなった後の世界に、自分一人が残らなければいけない事実と直面する。

 

そして、高里という存在意義を失いたくなくて、あの手この手で自分の元に引き止めようとする。 そこで初めて広瀬は、自分の「やさしさ」が独りよがりのエゴだったことに気がつく。

 

 

広瀬のようにならないためには、自分の弱さと向き合い、瞬間瞬間に気づいて修正する、日々の積み重ねでしかないと思う。

でも、そう生きるのって難しい。

だから、広瀬のことを笑えない。

 

 十二国記は「不完全な人々の物語」で、だからこんなにも惹きつけられてしまう。

不完全な人々が、強く生きていこうとする過程がおもしろい。

 

魔性の子』は、広瀬の絶望で終わる。

彼はこの後どうやって生きていくのだろう。物語の余白が余韻となり、私を打ちのめした。

広瀬の人生が語られることは、たぶん今後、ないのだろう。

でも、それでいいのだとも思う。

これは、そういう物語だ。

 

積読の豊作 読書の秋

選ぶ本、選ぶ映画ほとんどが当たりの、豊作の時期がやってきている。
特に、イギリスを舞台にした本が熱い。
 
コバルト文庫のヴィクトリアン・ローズ・テーラーシリーズはまさにそれで、つい先日、本編の最終巻を読み終わった。
「そうくるかー!!」という胸アツ展開で、ふんふん鼻息を出しながらページをめくった。
 
少女小説王道の、結婚式大団円。
 
最初はツンとしていた英国貴族のイケメンが、主人公のウェディングドレス姿に見惚れる場面は、キュンキュンしました。はー!たまらん!!
このシリーズは、仕立て屋の少女と英国貴族の青年が、身分違いの困難を乗り越えて結ばれる小説なのだけど、けっしてお花畑的展開にはならず、貴族と労働者の意識の隔たりをていねいに描いてくれたのが非常に良かった。
 
著者は作家になるまで、会社員として働きながら、「1ヶ月に1作小説を書きあげる」を実践していたらしい。
きっと意志が強く、地に足をつけてしっかりと生きている方なんじゃないだろうか。そして、だからこそ、「身分違い」の現実的な障壁を無視せず、物語に昇華して書き上げることができたんじゃないか。そう思う。
 
作家と作品を切り離して考える人もいるけど、私はどちらかというと「作家≒作品」ととらえるタイプだ。
作品は、作家という肉体を通してでないと生まれない。作家が書いているかぎり、どうあっても「作家自身」の持つエネルギーは、作品にそそがれる。
 
以前、別の作家だけど、過去のSNSの発言が原因で、小説は回収、アニメ化も中止となったことがあった。
一部のファンが「作家と作品は違うのに」とつぶやいていたので、少しだけ作品に触れにいったのだけど、「この作家にしてこの作品ありだな」という結論にいたった。あの一件については、作家も作品も、私はモラルに欠けていたと思う。
 
話が脱線してしまった…。
 
言いたかったことは、「青木祐子さんだったからこそ、ヴィクロテはこのように書きあがったんだな!!」ということである。
ヴィクロテの未読本は、残すところ短編集2冊のみ。どんな後日談が読めるのだろう。楽しみだ。
 
 
また、ずっと気になっていた大魔法使いクレストマンシーシリーズも読み始めた。
私はダイアナ・ウィン・ジョーンズのごちゃごちゃ感が、どちらかというと苦手なほうなのだけど、必ずと言っていいほど、読み終わる頃には「すごい……」と背中を丸めてうなっているから不思議だ。
私たちのこの世界を含めた、複数の並行世界の魔法を管理する職業が「クレストマンシー」である。シリーズといっても、それぞれ独立した話なので、どこから読んでも問題はない。私は刊行順に読んでいる。
ダイアナ・ウィン・ジョーンズを読む時は胆力がいるので、ゆっくりゆっくり読み進めていきたい。
 
 
アベンジャーズシリーズの映画『ドクター・ストレンジ』もおもしろかった!(イギリス?という感じだけど)
物理の殴り合いが多いアベンジャーズにはおもしろさを感じなかったけど、魔法や精神世界に重きを置く『ドクター・ストレンジ』は楽しめた。
主演のカンバーバッジは偏屈な天才を演じるのがうまいなと思う。ドラマ版のシャーロック・ホームズでホームズを演じているのは知っているので、そちらも俄然興味がわいてきた。
個人的には、『スポットライト』のレイチェル・マクアダムスも出演していたのも、ポイント高かったです。
 
 
そしてそして。
イギリスとは真逆の舞台設定だけど、今の時期忘れちゃいけないのが十二国記シリーズ。今あわてて読み進めている。
今日は、18年ぶりの新刊発売日。それまでに既刊を読み切りたかったけど、どうやら無理そうだ。道のりは遠い。
再読なので楽しめるか疑問だったのだが、全然楽しめる。むしろ、いろいろ経験した今の方が、より深く味わえているような気がする。心の琴線に触れる文章も違う。前はただ世界観に萌えていたけど、今は人間の弱さや醜悪さ、それを乗り越えようとする陽子の生き方に惹かれる。泰麒の弱さに共感する。
 
思うに、世の中の物語はすべて、人間のエゴと愛について描かれているのではないだろうか。
そんな小難しいことを考えるくらいには、十二国記にどっぷりハマっている。
今月の『ダ・ヴィンチ』も十二国記特集だしね!
十二国記のリアルタイム世代としては、この十二国記祭ムードをせいいっぱい楽しみたい。
戴、どうなるのかなぁ……。
読みたい本が多すぎて困る。
 
 

「ココリコ田中直樹の恐竜&アニマルトークショー」へ行ってきた

9/22(日)、「ココリコ田中直樹の恐竜&アニマルトークショー」へ参加するため、所沢航空発祥記念館に行ってきました。

 

こちら、夏休み期間に所沢航空発祥記念館でやっていたショートムービーを観た人だけが応募できる、貴重なトークショー

まさか当たるわけないと思っていたけど、なんと、なんと、当選してしまったのだった。

恐竜スキーなのでうれしい半面、一人で参加することへの不安が大きかったのだが、行くことにした。行って良かった。 トークショーで聞いたことは、どれも知らないことばかりで、恐竜に対する興味をさらにかき立てられました。

 

入口で当選はがきを出す時、子供たちににこやかだったスタッフさんが、笑顔のまま戸惑っていた。大人一名で堂々と来た私に。

くじけそうになる気持ちをなだめて、会場入り。同じような大人を血眼になって探したけど、おじさん二人連れがいるくらいで、会場の9.9割が子供連れだった。とほほ。

隣の席にいたのは、小学生の2人組だった。

 

時間になり、司会進行をつとめるアナウンサーが入ってくる。山梨のテレビ局に勤めているアナウンサーさんらしい。さすがはプロの仕事で、危なげなく進行していく。

「みんなで呼んでみましょうー!せーの、田中さーん!!」

「あれれ~?声が小さいようです。もう一回いきますよ~!」

などという定番のやりとりが、なんだか楽しい。私はもともと、こういうショーイズムが好きなのだ。遊園地でアルバイトをしていた頃の血が騒ぐ。

 

キッズたちの、周りにどう思われようが関係ねえ的なスタンスも良かった。大人の忖度がない空間は、なんて心地いいんだろう。私も子供たちと一緒に、「田中さーん!」と元気に呼んだ。ああ、楽しい。

 

ココリコの田中さん、ついに登場。

舞台袖からと見せかけて、舞台後ろからの登場でした。

テレビで見るそのままの田中さん。テレビと実物が違うという芸能人もいるけれど、田中さんはそのままの人であった。私はなぜか感動してしまって、目に涙をにじませながら拍手した。特別ファンというわけじゃないし、芸能人を見たのは初めてじゃないのに、なんでだったんだろう?

キッズたちに手を振りながら階段を下りてくる田中さんは、真面目な人柄を感じさせた。

頭の中に「田中ー、タイキックー」の声が響く。

今日はタイキックないんだなあとか、ぼんやり考える。

 

ナショジオに連載も持っているらしい田中さん。

しょっぱなから息継ぎなしの恐竜&哺乳類トークで、「あ、この人オタクだ」と確信した。

太古の昔、恐竜という種が栄えていて、恐竜が巨大化したからこそ、人間の祖先である哺乳類は土の中や草陰に身を隠し、絶滅をまぬがれて今がある、とか。

地球という惑星の中で起こった悠久の流れを感じさせるお話で、私を含め、会場のそこかしこから、ほうとかほあとか、感心のため息が漏れていた。

ガキ使では見ない、田中さんの別の顔だ。

 

 次に、肉食爬虫類研究所の富田先生登場。

キッズたちを飽きさせないために、珍しいカメやトカゲ、ヘビを次々に机の下から出していく先生。「自宅から洗濯ネットにくるんで連れてきたんですー」とか言いながら、珍しい爬虫類をひょいひょい出していく。洗濯ネットは東大でも推奨されている方法とのこと。そうなんだ。

 

そしてようやく始まった、恐竜プレゼン。これがもう、おもしろかった!

 

まずは、恐竜の骨格の話。

恐竜は一般的には爬虫類と思われているけれど、実は鳥類に近い種族らしい。

トカゲは主軸の下に足がななめについているのに対し、恐竜は主軸の真ん中からまっすぐ足が伸びている。この骨格は鳥とまったく同じなんだとか(スライドで説明)。

 

「ていうか、恐竜は鳥類なんですよ!!」

 

富田先生が力強く叫ぶ。

証拠として、ティラノサウルスだけでなく、トリケラトプスの化石にも羽毛が生えている写真をスライドに映す先生。

うなる大人、ぽかんとするキッズ。

キッズたちは特に、巷に流布する恐竜のイメージが先行してしまって、羽毛の生えた恐竜はなかなか受け入れられないのかもしれないなあ。

私は「恐竜は鳥類説」に納得したし、もっと深く知りたいと思った。とても興味深かった。

導入部、やけに田中さんが恐竜と鳥類をからめるなと思っていたので、富田先生の説につなげかったのか、と納得した

 

…でも、となるとモササウルスやバシロサウルスといった、海の恐竜はどの種族に分類されるのだろう?

バシロサウルスはクジラの祖先と言われているし、魚類や爬虫類以外の分類になる可能性は十分にあるなあ、とかつらつら考えてみる。おもしろい。

 

 

恐竜クイズもおもしろかった。

 

Q.イグアノドンのドンは何か?

⇒歯。

会場内は、当たっている割合が多かった(挙手制だったのでわかる)。

ちなみに、私は他の選択肢「爪」に思いっきり手をあげて間違えた。

私が爪を選択したのは、まだ恐竜が発掘されたばかりのその昔、鼻の角として復元されたものがのちに爪だった恐竜がいた、という記事を覚えていたからである。

中途半端な知識を持っていても問題は解けないという典型でしたハハハ←

 

Q.ティラノサウルスの噛む力は、人間の何倍?

⇒ 90倍。

これはイグアノドンのドン以上に、正解の割合が高かった。私も正解!(←子供)

車の前の部分なんか簡単に噛みちぎっちゃうよ~、と富田先生。

かの映画、ジュラシック・パークでは車を踏みつぶしたり倒したり回したりしていたけど、噛まれたら一発でアウトだったのかと思うと、まだ良心的な恐竜だったんだなと複雑な気持ちになった。

ちなみに、ティラノサウルスの噛む力はワニの2~3倍だそうだ。ワニの噛む力は1トンだそうなので、人間がいかに非力かがわかる。

 

他に驚いたのは、ティラノサウルスの脳は、地球上で4番目に大きいらしいこと。

クジラ・イルカ>ゾウ>人間>ティラノサウルスの順番。

だから、ティラノサウルスは人間が思うより頭が良かったんじゃないか、と言われているそうだ。

 

そんなこんなで、あっという間の45分間。

個人的には、もっと海の恐竜のことを知りたかったけど、トークショーで知れたことがたくさんあったので、行けて良かった。

最新の恐竜研究をもっと知りたいと思った一日でした。

 

帰り道、ジュラシック・パーク三部作を借りたことは言うまでもない。

 

 

『薬屋のひとりごと 8』日向夏

この本が他の中華ファンタジーと一線を画していると思うのは、薬や料理の豆知識が豊富ということもさることながら、登場人物の名前がちゃんと中国読みであり、かつ地の文の言い回しがきちんと世界観に沿った表現になっているところだと思う。

地の文の言い回しについては、「プロなんだから当たり前じゃないか!」とツッコまれるところだけど、私が読んだかぎりではそんなこともないと思う。主に少女小説ライトノベル界隈では。

いいかげん、なんちゃって中華ファンタジーは食傷気味で、十二国記とは言わないまでも、骨太な中華ファンタジーが読みたい。薬屋のひとりごとが骨太かは、ちょっと首をひねるけれど、まぁ、とにかく、作者のベースがしっかりしているので、好ましいのだ。

薬屋のひとりごと』は上手だ。

ラノベ的なキャラ立ちは申し分ないし、中国の歴史的な小ネタを、現代人でもわかりやすいように調理している。

最近はさらっと読める本が多いけれど、なかなか読み応えもある。そういう諸々が好ましくて、何より物語自体がおもしろくて、新刊が毎度楽しみなのだ。

8巻は、とにかく壬氏が!!壬氏がーーー!!!!

すでに読まれた方の感想が、のきなみ「壬氏やるなぁ!!」だったので楽しみにしていたのだけど、期待を大きく上回る展開だったので、該当箇所を読んだ時は「ふおおおおお!!!!?」となりました。言葉にならなかった。

いやぁ…まさか…まさかあそこまでするとは思わない…思わないよ…(呆然)。

7巻まで読んできた身としては、壬氏は皇位継承権を持っているので、猫猫への片想いは実らないだろうと踏んでいました。どうせ微妙な関係のまま引っ張るつもりなんだろうなぁとか、両想いになったとしてもイケメン上司がくどいて猫猫が妥協して終わりなんだろとか(口悪い)、完全にたかをくくってました。

それが、まさか、ねえ?←ネタバレなので言えない

おそらく今回の壬氏のネタ、本来ならソーニャ文庫あたりでやるネタじゃないだろうか。(ソーニャ文庫=執着偏愛系)

壬氏の恋愛はピュアといったら聞こえはいいけれど、相手(猫猫)の気持ちは完全に無視して求婚しようと必死だし、今回はえげつないやり方で逃げ道をふさいだりと、なかなかどうしてひどい。すばらしい←

シリーズ中、一度中だるみした巻があったので、実は心配もしていたのだけど、安心して次巻を待ちたいと思います。

壬氏には猫猫をどんどんと追いつめていただきたいです←

好奇心の種が芽吹く瞬間、それが回復の合図。

怒涛の一週間(先週)が終わり、新たな一週間のはじまりである。

先週は他人の失礼な態度に激怒し、自分の怒りから自身の内面を深く掘り下げる作業をし、ひどく消耗した。

1月はどうやら、礼儀をわきまえない人に対し、その場だけを取りつくろう自らの言行不一致を、修正するための月であるようだ。

私の状況を整理し、親身になって助言をくれる友人や恋人の存在に感謝する。

 

私は自分のエネルギーが少なってくると、次に何を読みたいかが浮かばなくなる。

映画や創作も同じで、「あれを観よう」「これを書こう」がなくなり、枯渇したエネルギーを埋めようと、ネットの猥雑な記事を流し読みし、時間を浪費していくのだ。

 

しかし、ある日、「〇〇が読みたい(観たい)な」という想いが浮かび、その思いつきの種が芽吹いて蔓を伸ばし始める瞬間がある。そうなった時、「あ、回復してきたな」と感じる。

 

今回思い浮かんだのは、映画だった。大好きな映画『スポットライト』を観たいという想いが、ふっと芽吹いた。

そこから、蔓が伸び始める。

七つの海のティコ』『スリービルボード』『シェイプオブウォーター』などが次々と浮かんでくる。楽しい。『スノーデン』『ミスティック・リバー』もいいなぁと思う。

 

人は好きなものに囲まれていないとダメになる、というのが、今の私の持論だ。

没頭するほどおもしろい作品に出会えないと、生きる力も創作意欲も枯渇していく。テレビ出演しつつも個展を開く芸能人のニュースなど見ると、私はなんて凡人なんだろうと思う。落ち込む。

 

才能を見つけるポイントは、「自分が自然とやっていることで、他人からもお返しがあることだよ」と、ある人が教えてくれた。

 

今の私が自然とやっていて他人からお返し(感謝)されることは、お悩み相談に乗ること、読書の趣味から高じて本を紹介すること、だ。

正直言うと、読書は司書の仕事を始めてから意識的にし始めたことなので、たとえば創作の才能を伸ばしたければ、完璧主義にとらわれず地道に始めた方が良いのだろう。継続は力なり。

 

書きたいものは明白なので、あとは甘えず、努力するのみである。

あれ。好奇心と疲労回復の関係性をまとめる記事だったはずなのに、創作を始めたいという話になってしまった。

まあいっか。